イベントレポート詳細Details of an event

第80回 AGC Studio Design Forum
AGC リノベーション展+DESIGN 基調講演
 「リノベーションにより開かれる建築」

2017年10月17日(木) 開催
講演会/セミナー

「第一世代」とは全く異なる「第二世代」の民主化

 

松村 まず、最初には、民主化なんて言っていられない時期、「第一世代の民主化」とここに記してありますが、まずはみんなに健康的な生活をしてもらえる環境を届けるところから始まった時代があるわけです。日本でいうと1960年から1973年までの間、いわゆる高度成長期ですね。1963年、東京オリンピックの前年の統計を見てみると、当時の日本には住宅で約2110万戸のストックがあった。一方、世帯の数は2180万ありました。いまでは考えにくいことですが、世帯の数の方が住宅の数よりも多いという状況が戦後、ずっと続いていたわけです。つまり、1つの住戸に複数の世帯が住んでいたか、あるいは住戸と呼べない建物に暮らしている世帯がいたということです。それくらい住宅が不足してひっ迫していた。だから、当然のようにこういう「マスハウジング」というものが、政府主導のもと行われたわけです。昔の公団住宅です。ニュータウンや団地をどんどん開発していく。

 

これは今の若い人に言っても、感覚的に理解できないことらしいですけれど、(均質な団地が規則正しく林立している画像を見せて)この建物とこの建物と、こちらの建物は、全部住戸ごとのプランが同じなのです。建物が違ってもプランは同じ、と。今だと考えられないですよね。マンションを建てて、プランが一種類しかないところなんてまったくないですよね。URさんの賃貸でも、必ず違う。101号と102号のプランは違うし、101と201のプランも違っていたりしますよね。でもこの時代は全部同じ。「同じでいい」と、そんなこと構ってられないという時代だった。みんながきちっと生活できるようにしようということ。

 

そういう住宅がなぜ、可能だったかというと、そこに住む人たちをモデル化できていたから。例えば当時の公団住宅は、入居者の収入が国によって決められています。収入階層でいうと、いちばん低いところよりも上のクラス。簡単に言うと大都市圏のサラリーマンですよね。工場で働く方々やオフィスで働く方々を含めて、サラリーマンを中心とする人たちの住宅です。彼らは地方から出てきて、自分で核家族をつくる。それまでの大きな家族モデルとは違う核家族をつくって、子供の数も2人から4人くらいまで。世帯規模がだいたい4人か5人規模。こういうサラリーマンの生活はだいたい一律です。会社が違っても、やっている仕事が違っても、何時に家を出て、何時頃帰ってくるか、など、まぁ、帰宅する時間は人それぞれかも知れませんが、生活パターンがほぼ同じ。また専業主婦が多い。ですから、だいたいモデル化できる。

 

モデル化できるということは、田中さんとか、佐藤さんとか、特定の個人や世帯でなくても、プランが設計できます。これを突き詰めたのがソ連という国でした。ソビエト連邦が、そうした標準化についていちばん進んでいた。ソ連の建築エリートはモスクワの標準設計を進める組織に集まって、人々の生活を分単位で分析して、そこに意味があるかどうかわからないですが、毎日の生活スケジュール表みたいなものをすごく細かくつくって、それに一番ふさわしいプランを設計する。そのプランにいくつかの番号が付与されている。これがソ連に限らず旧共産圏の国でも使われました。人の生活のモデル化が可能であるとすれば、住戸の種類が少なくて済む。それに従って、プレハブ化、標準化、工業化し、部品化というものを進める。この時代は、個別の人のニーズにいきなり対応するなんてことは技術的にできなかった。で、当然のようにプレハブ住宅産業もこの頃に興ってきました。

 

そういう時代、第一世代の民主化の時代は80年代に入って終わりを迎え、第二世代に入ってくる。1973年にオイルショックで経済状況が変わりました。高度経済成長が終わります。それから住宅が足りないという状況も終わる。いっぱい建てたから足りてきちゃったのです。この1980年から1990年くらいを「第二世代」と呼んでいるのですが、こうした状況を代表するバブル経済の入り口の年、1988年に住宅と世帯数がどうなったかといいますと、統計上、先ほどの住宅が足りない時から25年が経って、住宅の数が2倍になった。約4200万戸になっています。それだけたくさんつくってきた。一方、世帯の数は住宅ほど増えてなくて、約3780万世帯です。4200万戸から3780万世帯を引くと、すでに420万戸です。当時から400万戸が空き家なんです。今でこそ、空き家が800万戸あると報道されて社会問題として広く認識されるようになりましたが、当時からかなりの空き家があったわけです。ただ、それを社会的に問題視する時代ではなかった。一方、産業的な面からいうと、ここにいろいろ書いておきましたが、例えば、マスカスタマイゼーションとか多品種生産方式というものです。

 

この画像は積水ハウスさんからお借りした写真なのですが、積水ハウスさんが1990年代に広告で使っていた写真です(建材がたくさん置かれた広いグラウンドを空撮している)。この写真が何を表現しているかというと、例えば、佐藤さんのお宅、田中さんの家とは違う佐藤さんのお宅をつくるのに、こんなにも多い部品をつくって、それをこの工場で働いている人たち全員が、佐藤さんの独自の思いに応えるべく、「これは佐藤さんのおうちですよ」ということを認識して部品をつくっている、ということを示しているのです。当時、たまたま積水ハウスさんの工場で登録されている部品のリストを数える研究というのをしたことがあります。それは、積水ハウスさん自身も、どれだけあるかを知らなかった。なぜなら、数える意味がないから。でも実際に数えてみたら、200万種類ありました。この数字は、何なのでしょう(笑)。

 

こういう数になるともう「種類」という概念ではない。種類というのはせいぜい1000種類くらいではないか、区別できる種類としては。では、なぜ、200万もの数になっているかというと、注文が来たものを全部個別につくっているから。その注文のきた部品を、昨日つくったことがあるかどうかを問わないという仕組みになっていた。この頃、コンピュータで制御できるロボット的な生産機械が出てきまして、そういうものが製造ラインを構成していく。それによってこのような多品種生産方式が可能になり、大量に売っているけれどカスタマイズできる、と。佐藤さんと田中さんの部品は違いますよ、と。こういうところが産業的に第一世代とまったく違うところに達した。

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