イベントレポート詳細Details of an event

第77回 AGC studio デザインフォーラム
AGC studio Exhibition No.19「新しい建築の楽しさ2016」展連動企画
「プライベートスペースをパブリックに開く」

2017年2月16日(木)
講演会/セミナー

第二部 トークセッション

 

中崎 どうもありがとうございました。ではこれから「プライベートスペースをパブリックに開く」というテーマでディスカッションを始めます。1か月前に、「パブリックスペースの中にプライベートスペースをつくる」というテーマでデザインフォーラムを開催しました。その時に感じたのですが、パブリックスペースの中にプライベートスペースはつくれるけれども、その空間はパブリックデザインであって、プライベート的なデザインではない、と。公共施設の中で多様な居場所をつくろうとしているけれども、個人が使う時にはそれだけでは居場所として難しくて、例えば、可動式のものなど何か個人が加えないと、そこで過ごすことが、それほど居心地のいいものにならない。ですから。パブリックスペースの中にプライベートスペースをつくる時のデザインの難しさを感じています。

 

先ほど、落合さんが言われた「自由に使える公共空間の探求」ということをみなさん、やろうとしているのですけれども、ある一人の施主がいて、それに合わせてデザインしたものではないので、何か加える必要があると思います。昨年のデザインフォーラム(#75)で、岩瀬諒子さんが木津川の遊歩道をデザインした時に、階段状の空間に利用者が勝手にベンチを置いて、それが非常に風景としてよかったし、そういう使い方もある、と多くの方が感じたようですけれども、公共空間なので、当然ですが、行政がそれを撤去してしまった。そういうことが起きてしまうのが現状であり、パブリックスペースのなかにプライベートスペースをつくる難しさをすごく感じました。

 

で、今回は、逆の「プライベートスペースを、どうやってパブリックに開くか」ということなのですが、落合さんが取り組んでいる私有地を開くというのは可能性の一つだと思うのです。ただ抽象的な面があっていまひとつ分からないところがある。また、馬場さんの言い方だとコモンですし、落合さんだと中間領域みたいなものですよね。そこをパブリックとプライベートの間にある空間ととらえ、その領域をつくる、というところまではたぶんみなさん共感できるのでしょうが、そのデザインをどうするかという時に、プライベート寄りなのか、パブリック寄りなのか、その辺の判断、デザインの難しさを感じます。

 

さて伊藤さんの「木の風景」では製材業を営む方の住宅を製材業のためのショールームを加えるという話だったと思うのですが、その部分の説明がほとんどなかったと感じたのです。またあのファサードデザインは、他の人が入りにくいなぁ、あまり開いてないなぁ、と感じたのですが、そのあたり、説明してもらえませんか?

 

伊藤 まず、馬場さんと落合さんの場合は都市の中のプロジェクトですよね。首都圏近郊で人口が多いのですけれど、地方都市の場合、まず、パブリックというもの自体が成立するのか、という問題意識があります。長門市のように人口数万人というところだと、いわゆるパブリックはなくて、大きなコモンというか、みんな顔見知りなわけなんです。僕の場合は、まず、地域をどうするべきかを考える中で、このプロジェクトをよりパブリックな存在にしたいと考えています。リテラルにオープン、ウエルカムな場所をつくるような、都市の中で有効に働く空間の論理ではなく、パブリックな在り方を別の次元で扱えないかと考えました。そして次に、さっき馬場さんが仰っていた共通言語として地場材を使う、ということ。これは、今回の僕の取り組みに近いと思いました。まちの人たちが日々暮らす空間の中で、共有しているものへの気付きを与えるような行為だと思うのです。今回のプロジェクトが人々にどのように作用するかは分からないのですが、地域に根差す営みに対して、自分事のように共感を持つ仕組みを考えたいと思うのです。

 

馬場 僕は伊藤さんの話、すごくよく分かります。郊外では、要するにスペースというものが道具として頼りない、ということですよね。(都市の)過密な場所であるからこそ、新たな広がりとしてスペースを作るということにインパクトが生まれるけれど、既に空洞だらけの場所の場合それだけでは心許ない、閉じていたものを開くという感じが出ない。先ほど見て頂いた直売所は市街化調整区域のど真ん中にあって、物理的な拠りどころが全然ない。そんな中で、僕もそれを別の次元で探す必要があったのだろうと思います。

 

中崎 では、スペースではないものとして、どういうものが考えられますか?

 

馬場 伊藤さんの発表には徹底的にモノを見つめているという点で感動を覚えました。モノそのものの性質を徹底的に掘り下げることから、全く新しい形式や言語を生み出そうとしている、あるいはモノと人の新しいコミュニケーションを開発しようとしている。一方で、落合さんの場合は違って、やっぱりスペース派なんですよね。スペースを作り、運営にもタッチして、人と人とのコミュニケーションを直接的にデザインする。とてもストレートなやり方で、即効性があり、実行力が高いと思います。伊藤さんと対照的ですよね。ただ、個人的にはどちらかだけに偏るのは良くないかなぁ、と思います。

 

落合 スペース派の落合です(笑)。このふたつのプロジェクトはどちらも東京都内ということもあって、やはり場所に対する金銭的な価値が強く、その場所を運営しなければいけないという命題があります。言ってしまえば、固定資産税がかかってくる中で、運営しなければならないというベクトルは働きます。ただ、「ワカミヤハイツ」もそうなんですが、住宅部分があって、そこを開いているわけではない。住宅部分とパブリックスペースの両方を持てる、だからこそ開くことができる、と。そういうところは地方も一緒ではないか、という気もするのです。人間の性質上、完全に開くことには抵抗がありますよね。住宅というプライバシーの強い場所は確保しつつ、開くことができる部分も持つ、と。これがたまたま東京の場合はこの私有地の中に完結しているのだけれども、地方に行けば、もしかしたら、例えば2つ建物を持っている人がいて、集会所として共有資産的に使うこともできるのではないか。そういう意味で土地と建物の関係性は、もっと広域になってくるような感覚があります。スペースというものなのか、あるいはそれ自体をつくるものなのかの議論と合わせて、境界線がどこになるかというのも、まぁ、スペースの延長なのかもしれませんが、そこも議論したいなと思います。抽象的ですみません。

 

馬場 都市の場合、経済的尺度が運営のひとつの目標になる。一方都市でも地方でも複数の場所を持っていて初めてどちらかを開くことができるという性質は同じ、使えるものを有効につかうとすれば、地方では建物単位などスケールの違うできることがあるのではないかという。

 

落合 そうそう。

 

馬場 確かにそうですよね。ですが、スペース派は(笑)、やっぱり、場所の運営やガバナンスに寄り添う精緻な設計が求められるし、場合によっては主体の一角として付き合っていかなければいけないのでそう気軽に言えないのではないか。運営に寄り添う姿勢が求められているし、深く関わることには大変な可能性がありますが、同時に難しさもあると思います。とくに民間の場合、運営の持続性は全く担保されていないわけで、近視眼的に寄り添い過ぎると、さらに先の未来への追従性をそこなうことがあるかもしれない

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