イベントレポート詳細Details of an event

第63回 AGC studioデザインフォーラム
AGC studio開設5周年記念企画 女流建築家4人によるトークイベント
「わたしたちのケンチクとガラス」

2015年10月30日(金)
講演会/セミナー

 

 私は座学で「建築材料」という授業を担当してまして、工学的アプローチというよりは、建築材料をデザイナー目線で解説するというものです。そこでは学生に、コンクリートやガラスなどについて説明するわけですが、その時に見せる教材があります。それを今日は持ってきました(笑)。で、材料について考える際に、設計をする立場からすると、やはりその素材が、表現の可能性を、どのように広げるのだろうか、というようなことに興味があります。とくにガラスというのは、工学的に見ると非常に面白いものだと思うのですが、建築表現のうえでもかなり特別な素材というか、その複雑さとか多義的な意味において特別な素材だと思います。そのことを語っているテキストとしてコーリン・ロウの有名なもの(『透明性 実と虚』)があります。これが透明性について深く考えるきっかけを与えていますし、私もこれで考えるようになりました。ここでコーリン・ロウは透明性について「互いに視覚上の妨害をすることなく、相互に貫入する」という定義をまず与えて、それに対して「実の透明性」と「虚の透明性」を解説していますね。建築だけでなく絵画まで事例を出して説明されていますが、建築での透明性の代表例は、例えばグロピウスのバウハウス棟の壁面だと言っています。つまり透明な材料を透明なものとして使っている。これに対し、コルビジェのガルシェの住宅は、ガラスをメインの素材として使っているわけではないのだけれども、いろんなモチーフの重なり合わせによって結果として透明性みたいなものが生まれている、それが虚の透明性である、と解説されています。こうした複雑な議論がすでにあるわけなので、ガラスを使う時にはそのようなことに対して思慮深く、真面目に取り組まないとなかなかうまくいかないように思います。

 

 では現代の建築でそういうものを感じるのは何かというと、2つあります。1つはこのニューヨークにあるアップルストアのエントランスですね。これはガラスを使って外壁から屋根まですべて透明にしており、いわば「実の透明性」ですね。対して、この写真はジャン・ヌーベルのパリにあるカルティエ現代美術財団の建物です。この2つはどちらもガラスを全面に使った建築だと思うのですが、どっちが好きかと問われたら、私はカルティエのほうと答えます。なぜ、そう思うのかを考えると、アップルのエントランスは物理的な事実として透明であることを追求している。技術的にはものすごいことになっているので、それについては称賛したいのですが、透明性ということに関していうと、単純な気がします。

 

一方、ジャン・ヌーベルのカルティエ財団のほうでは、透明でありかつ反射するという、ガラスの複雑な表情を介して、もう少し繊細に取り扱っている、その面白さを存分に活かしたいというデザイナーの気分がよくわかるのです。私は、どちらかというと、このジャン・ヌーベルのような透明性を考えたいです。そのように、透明を事実として扱うのかどうかとういうことに対してさらに考えていくと、妹島和世さんのことを語らずにはいられないと思っています。妹島さんの作品を見ていると、やはり、物理的な透明性を使って実際に透明なのだけれども、同時にそうではない意味での透明性を達成されているような気がしております。先ほどのアップルストアとカルティエ財団の2項対立的な構図があるとするならば、それが完全に融け合ってしまうような、究極なところへ行っているのではないかなぁ、と思っています。同じデザイナーとして、透明ガラスでは、もう、それ以上は行けないなぁ、という感じがしています。だから、「ガラスを使った表現を」なんて言われると、ちょっと引いてしまって、自分に何ができるのか? という気持ちにならざるを得ません。

 

世の中はガラスの表現について、どんどん先鋭化しているのですが、やはり「透明」は身体的に快楽的な素材だと思います。それは例えば、この写真(オーギュストペレによるNortre-Dame du Raincy)は近代の事例ですが、これは物理的性質としては古い、クオリティの高くないガラスを使っているものの、こうした事例を見ると、ガラスを使うことの喜びが直接的に訴えてくる。ガラス表現の先鋭化とは無関係に「ガラスをもっと楽しむべき」「ガラスは気持ちのいいものである」ということを教えてくれます。さらに言うと、これは透明なガラスではなく、外も見えていませんが、空間全体に透明感がありますね。ガラスを使うに際して、向こう側が見えるということ以上に、空間に透明感を与えられるか否か、に興味を感じます。だから、ガラスを使って透明感を達成する際に、透明なガラスでなければいけないのか、というと決してそうではないと思います。

 

ということで、私がこのAGCスタジオに来ると、いつもこの内装を設計者として解説せざるを得なくなるのですが(笑)、ノートルダム寺院でも色が入っていました。で、私もこのスタジオでは色ガラスを使わせてもらいました。ここはガラスのショールームなので、当然、ガラスを使うよう求められていました。とはいえ、透明なガラスで何をできるか、と考えた時、先ほども言いましたように、自分ではなかなかできないという限界にぶつかり、物理的に透明ではないガラスを使って、どうすれば透明感を創られるのか、にトライしたのがここの内装になっております。で、いつもここに来るのは大体夕方から夜になってしまう。そうすると説明しても理解してもらいにくいところがあるのですけれど、本当はぜひ、昼に来て、見ていただきたいです(笑)。昼の写真でお見せしているように、ここでは緑とオレンジの補色関係にあるガラスを使っています。この2枚のガラスが重なり合うと色を打ち消して透明になり、中から外を見ると天然色で見られる。一方、その手前の室内にあるものは、いろんな色が付いた状態に見える、ということをやろうとしたのです。これが空間の透明性に結びついているかどうか、分からないですけれど、インテリアに身を置いた時に、普段と違った透明感をもって眼前に現れるのではないか、新鮮な印象を与えられるのではないか、と考え、この内装をデザインしたのです。

 

成瀬 どうもありがとうございます。

 

三澤 コーリン・ロウのテキストのところに、1956年とありましたが、その年に発行された本なのですか?

 

 出版ではなく、テキストが書かれた年のはずです。

 

三澤 自分が生まれた年なので、自分の年齢を暴露するようで嫌なのですが(笑)、「ああー」と思って、その頃に書かれたものを使って学生に教えていらっしゃるのは、やはり材料の本質について、教えていらっしゃるのだと思いました。それからアップルストアとジャン・ヌーベルの比較について私も同じ印象を持っています。アップルストアに関しては、その透明性に関して「はい、分かりました!」と言うしかない。一方、ジャン・ヌーベルに関しては透明性の中に「中がどうなっているのだろう」と、何か複雑な、想像をかき立てられる面白さがあります。そして、ここのスタジオの内装についてですが、私は乾さんがここの会議スペースを設計されたことを、今日初めて知りました。「ああ、そうなんだ」と。私は以前、昼に来たことがあり、夜は今日が初めてなんです。それで思い出したのは、そういえば、何か不思議な感じがした、ということです。何か、迷わされる感じ、どうなっているのだろう、と。それはシンプルな中の複雑系のことを考えられたのだろうと、今さらながら感じます。昼に来た時の感覚を思い出し、感心いたしました。

 

加茂 乾さんから説明いただいた、透明性という言葉と、その間に1枚あるということで、却って向こう側とこちら側の関係が生まれる、ということがすごくよく分かるお話でした。私はこのスタジオへ昼間に来たことがないのですけれど、写真の中にもあったように、緑とオレンジでこのような効果が得られるということについてすごく衝撃を受けました。ぜひ、今度は昼間に来てみたい。それと、ジャン・ヌーベルのほうが自分にとって興味を引かれるという感覚は、私も共感できます。

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