イベントレポート詳細Details of an event

第56回 AGC studio デザインフォーラム AGC studio Exhibition No.12 「新しい建築の楽しさ2014」展連動企画 「居場所をつくる」

2015年2月19日(木)
講演会/セミナー

菅原 僕は三浦さんの話を聞いていて、高齢者と「大人」、子どもと「大人」、という高齢者と子どもの間にいる年齢の「大人」が管理者として介在する意味で、3つの施設に共通点を感じました。一方で、違いとして見えてきたのは管理者の居場所です。「ゆたか幼稚園」や「育良保育園」では管理する立場の「大人」は管理される子どもの空間に開かれた存在です。一方、三浦さんは「ニッケてとて加古川」の管理部門の説明で「壁にチラチラ見える穴を開けました」と言われましたが、そこでは管理する「大人」は、管理される高齢者とは別の閉じられた空間に隠れながらも見守るということ。つまり、自我やプライバシーの発達度合いが、空間/管理の形式に関係している。子どもは、みんなの前でおしっこをしたりうんちをしたりして、自我やプライバシー意識が発達段階ですよね。一方、人生の終盤にある高齢者の方々は長年で培われた強い自我がある。だからこそ、常に管理されることに対する違和感や嫌悪感があって、それが管理部門の空間や建築の開き方の違いになっていると感じました。正に、自我と管理形式の関係が如実に現れていますね。

 

三浦 そうですね、管理できるような空間を注文されていても「見えないところをつくっちゃえ!」という気持ちがありますね。本当の意味で、復旧、復活できない失敗以外は、受け入れていいということで言うと、高齢者も子どもも一緒ではないかと思うのです。少々の怪我くらいはいいだろう、という前提を僕は想定しているのですが。そういう意味で「見えるようにつくっています」という言葉と「実は見えない場所も(一部)つくっています」というのはほぼ同義語です。

 

松島 それに関連して思うのは、三者とも確固たる規定した居場所を用意していないということです。「各自で発見してくれ」と言っている。こういう時、設計で考えなければいけないのは「どこで細かい想定を手放すか?」という問題ですね。空間の図式はつくるのだけれども、用意され過ぎた場所は想像や行動を制限してしまう。一方で手がかりがまったくない、がらんどうな状態ではそもそも想像や行動が生まれない。自由な余地をつくるために、「想定をあるところから手放す設計」が有効ではあるものの、その加減操作が非常に難しいことだと思います。

 

三浦 まさにその通りで、先ほど大人と子どもだけが建築を必要としているという話をしたのは、その間の人に用意をすること自体がおこがましいと感じるわけです。みなさん、センスが良くて、これまで世の中を歩き回られてきたのですから、自分で見つけてきて、自分で好きなように住めばいいのではないか、と。だから自分で動ける人々には建築家など不要で、社会にインフラが揃っていて、上手に使ってくださる人に設計者なんて要らいんだろうな、と思うのです。対して、機能的・物理的に子どもとお年寄りの場所に対しては設計者がまだ純粋に関われると思っているわけです。

 

菅原 先ほど三浦さんが言われたような、ちょっとしたけがをある程度気にしないというのは重要です。つまり、厳密な減点法で制限するのではなく、加点法、或いは伸しろの設計にこそ建築の可能性を見出すべきです。「ゆたか幼稚園」でも、削ぎ落していく中でやるべきことを厳選し、実行してきたと思っています。風景を取り込む天井や、重層的な見え隠れをつくる山並壁で主軸となる空間のフレームを形づくりました。だけど、実際にそのスペースをどう使い尽くすかは、園長先生に任せるというか、細部までは関知していない。逆に言うと関知できないと思っています。建築や建物でできることは限られているので、ユーザーの自由な使い方をドライブさせるような設計を目指しています。ただし、本当に引き継がなければならない空間の本質はキチンと見つけ出し、つくり込みます。でも、そこで手を止める。なぜなら、クライアントには、場の可能性を発見する能力というか、使いこなす能力が必ずあるのです。手を止めることで生まれる余白を持った建築には、各クライアントの空間や時間に対するリテラシーと癖が、そのまま現れます。自分の今までの仕事を見ていると、設計者である僕の想像を超えたクライアントの環境活用能力に、いつも驚かされています。

 

松島 具体的な設計の手法について言うと、三者とも「天井」を行動のトリガーに使っていますね。壁という垂直要素は、行動を制限する力は強いと思うのです。一方、頭上の水平要素である天井は、体が触れずとも目線や意識が必ず向かうので、行動を創発するトリガーとして非常に使える要素だと思っています。また、場所の帰属意識として「色」が使われているという操作も見受けられますね。このふたつは本日の三者に共通した、居場所をつくるための有効な仕掛けだと感じました。

 

菅原 僕は、多様な居場所群というカオスの中で、自分の位置や動きを定義する座標として、天井とその照明グリッドを利用していて、松島さんや三浦さんは屋根の高低差や光の状態で、空間にキャラの不均質をつくっているという違いも見えてきて、面白いなと思いました。

 

中崎 時間がきてしまいました。3人のお話しを聞いていて、統一性や統合性と散逸性のバランスかな、ということを感じました。そのバランスがいいと、使う人によって、使いやすいし、居心地のいい居場所になるのではないかと思います。それでは会場からの質問を受けて終了とします。
*会場の質疑を受け、終了。

 

 

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