イベントレポート詳細Details of an event

第88回 AGC Studio Design Forum
AGC リノベーション展+DESIGN クロージングセミナー
 「AI時代のリノベーション」

2017年12月14日(木) 開催
講演会/セミナー

プログラミング表現とリアライジング表現

 

 建築表現の3プロセスに対して、我々が均等に比重を置いて仕事にあたっているかというと、そうでもない。プログラムに比重を置く建築家は多く、リアライズに力を入れる方々もいて、コンサルティングを担う人たちはコミュニケートの段階がメインになる。このように、建築表現にはいろいろな比重のかけ方があり、種類が存在します。その種類について見ていきましょう。

 

 プログラム段階に比重を置いた「プログラミング表現」、リアライズ段階に比重を置いた「リアライジング表現」がどういうものかについてお話します。
 この写真にあるザハ・ハディド氏による新国立競技場の当初案は、プログラミング表現の具体例と言えます。こういう造形は、「この敷地に新国立競技場をつくってください」という要件に対して、“予想していた答え”ではない。想定を上回るカタチを出す、いかにも建築家という表現にあたると思います。誰かが予想していないものをつくるのがプログラミング表現であって、非AI的表現であると言えます。
 一方、リアライジング表現としては、新国立競技場の最終案が具体例として挙げられます。ご存知のように当初案のコストや建設工期が問題となり、それに対して費用・工期・機能の条件付けがなされた後に、第二回目のコンペで選ばれたものです。つまり、第二回目はプログラムではなく、リアライズが要求されているコンペだったと言える。だから、リアライジング表現の典型が選ばれ、社会に受け入れられたのだと思います。

 

 この絵は、AI議論でよく出てくる「ネクスト・レンブラント(The Next Rembrandt)」です。オランダの美術館とマイクロソフトなどが共同で手がけたプロジェクトで、レンブラントの大量の絵画をAIに学習させ、レンブラント的な特徴のモチーフのつくり方・輪郭のとり方・筆のタッチなどをディープランニグさせ、AIに絵を描かせて3Dプリンターで出力しています。
 この絵が果たして芸術かどうかという問題が生じますが、この絵を芸術とみなすならば、リアライズだけでも芸術ができることになる。レンブラントの絵が前提で、リアライジング表現だけで制作されており、レンブラント以上でも以下でもなく、レンブラントがつくり出した概念を再生産しただけなので、新しいものができている訳ではない。プログラミングの段階はなく、そのため、この絵が芸術かどうかの議論が分かれるところですが、AIの典型的なリアライジング表現だ、と言えるとは思います。

 

 東京の新旧二つのタワー、東京タワーと東京スカイツリーにも、プログラミング表現とリアライジング表現の違いが見てとれます。
 どこを見るかというと、“色”でして、東京タワーは赤い。世界的に見ても、タワーに赤い色を塗るのはほとんど類例がなく、とても独特なことでした。タワーを赤色にするのは、実に芸術的な発想だと感じます
 なぜ赤いかについては、「飛行機がぶつからないように、赤と白に塗った」ということなのですが、そのルールは東京タワーを建てる際につくられたものでして、赤と白のタワーだと飛行機がぶつからない、というような基準やルールはそれまではなかった。1958年完成という時代背景を考えると、赤と白は、日の丸のイメージなどから引っぱったのが裏事情としてあるかとも感じます。 
 東京タワー以降、日本で建てられる60m以上の塔は赤と白に塗るというルールができましたが、絶対的な拘束力があるものではない。東京タワーは5年に1回塗り直しを行っているので、その際に別の色にしてもいいわけなのですが、そうすると、社会的な反対運動が起こるでしょう。
 2012年完成の東京スカイツリーは、赤白の色が絶対ではないことから、「スカイツリーホワイト」と呼ばれる色になりました。ちょっと青みがかった白で、多くの人に受け入れられやすい色です。コンピューターがどんな色がいいかと、社会情勢から判断すると、こういう色になるのではないかと思います。
 東京タワーの赤のような、それまでは連続性がなかった色はプログラミング的、東京スカイツリーはリアライジング的だと言え、時代の違いを表しているとも感じます

 

 この写真は大阪のアベノハルカスです。超高層ビルで複合的な用途という特徴から、予想を裏切らないリアライジング表現になっていると思います。一方、バブル期に、大阪に建てられた梅田スカイビルは、明らかにプログラミング表現です。最上部をつないでいる超高層ビルは当時なく、今でもあまりない独特な表現で、歴史的に見ると、東京タワーと同様に不連続性を持つ建物だと言えます。
 東京都庁もプログラミング表現となります。当初は、こういう装飾性を持ち、途中からツインタワーになるような特殊な建物を誰も予想していなかった。1986年というバブルの真っただ中のコンペなので、このようなプログラミング表現と、リアライジング表現が真っ向から対決した状況だったのだと思います。
 設計者である丹下健三氏の案は、出題者の想定を超えた答えとなり、一方、大手設計事務所の日建設計は、「都庁はただのオフィスビルだ」という考えのもと、オフィスビルとしての設計提案を行い、他社の案もリアライジング表現のものが多かった。その中で、丹下案が勝ったというのは、バブル期であったということも大きい。先程述べた新国立競技場とは、或る意味で別のベクトルが働いた例だと言えます。

 

 リアライジング表現は世の中に満ちあふれています。ショッピングモールもリアライズ表現でして、過去の通念からすると、我々にとって意外な空間です。
 一見、華やかな非日常的なショッピング空間に見えますが、100円ショップやユニクロが入っていたりして、日常的なショップも多い。我々が日常的に街に求めているものを一箇所に集めて、一度ふるいにかけて答えを出すと、ショッピングモールのような感じになる。マーケティングに基づいたリアライジング表現と言え、非日常でも日常でもない拡張した日常空間が、今、世の中にあふれていると思います。
 例えば、最近の大病院にも同様な空間があり、また、かつては“オシャレをしていく街”であった銀座に、マツキヨやユニクロの大規模店が登場したりして、その街が持っていた特殊性がだんだんなくなって来ている。それがリアライジング表現の特徴だと思います。

 

 プログラミング表現については、先程も言ったように、まだまだAIには不可能な領域です。しかし、都市部の最近の建築にリアライジング表現が増えて来ている趨勢を見ると、現代社会は、リアライジング表現、すなわちAI的な表現を望んでいるのではないか、ということも考えられます。
 なぜ望んでいるのか、そこが問題です。先程述べたように、建築では、コミュニケートした結果をフィードバックしないと、プログラミング表現とはならない。逆に言うと、リアライジング表現はコミュニケート不全の状態でも可能だ、ということになる。確立している概念、社会的にOKと言われている概念の集積によってリアライズは行われるので、コミュニケートなしでも、リアライジング表現はできる。これが大きな問題なのではないか、と考えます。
 先程の「現代社会はリアライジング表現を望んでいるのではないか」という背景には、「人間同士のコミュニケーションが不全な社会では、“プログラミング=非AI的”なものは拒絶される」ということがある。人間同士のコミュニケーションは信用できない、という概念が我々の中に何となくあるからこそ、AIに精神的に依存してしまう心理が働いているのではないか。このことを問いかけたく思います。

 

 この写真は大手町のビル群です。これらの建物は超リアライジング表現のものに思え、英国調の東京駅丸の内駅舎が浮いて見えます。
 なぜ違うかというと、まず、建てられた時代が違う。そういう目で、ビル群をアップで見てみると、実は大量生産されているように見える四角いビル群のカーテンウォールには、用途や向きが一緒なのに、同じものが一つとしてない。実用的につくるのであれば、デザインを変える必要はないのに、同じファサードはないです。
 なぜかと言うと、やはり人間は変化を望んでいる、と。これだけの合理主義でモノをつくりながら、今あるものより少しでもいいものをつくりたいという改善のビジョンを持って、人間は建物を変えてきた。だからこそ、時代が変わると、かなりのものが変わってくる。その小さな差異が、ファサードの違いに現れている。合理主義に潜在する“変化”の欲望を人は持っているわけで、それを踏まえたうえで、リノベーションの話にいきたいと思います。

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