イベントレポート詳細Details of an event

第29回 AGC studioデザインフォーラム
U-30 Young Architect Japan. 開催記念トークイベント

2013年4月26日(金)
講演会/セミナー

●吉村靖孝氏のレクチャー

 

みなさんこんばんは。
最初にお断りしますと、私がガラスについて語るのは人選を間違っているという気がしております(笑)。私は、ガラスについてはもちろんのこと、そもそも素材についてあまり語ったことはないのです。ガラスという素材は建築材料の中で最も難しい材料であると感じております。

 

そんなガラスを語るにあたり、まずはヴィトゲンシュタインの色彩に関する言説について触れておきます。
これは彼の草稿や遺稿をいくつかまとめたものの一節なのですが、その中に「透明であるものが緑であることは可能だが、白であるのが不可能なのはどうしてだろうか」とあります。想像していただくとお分かりになると思いますが、緑色は透明な性質をもてる一方、白色の透明は想像できませんよね。これは白というものが、色の中で特殊であるということであり、白と透明の相容れなさがすごく興味深いと思いながら読んだ覚えがあります。

 

もうひとつ、建築関係の方々にはなじみ深い文章で、コーリン・ロウの「透明性 実と虚」、日本語版では『マニエリスムと近代建築』(彰国社)の中の一節です。

 

「~実際、知的な洗練というものは材料の美学と相そぐわないものが多いのである。バウハウスの工房棟でギーディオンが主に賞賛したものは実の透明性であったが、ガルシュの邸宅で我々の関心を引くのは虚の透明性である。」

 

ここで「実の透明性」というのはガラスを透かしてモノを見るというリテラルな透明性であり、それに対してコルビジェの白い壁でつくられた、中を実際に見ることができない住宅にも「虚の透明性」がある、と。つまり、像が経験的・知覚的に重なり合って見えるような状態があるのではないか、という考えです。
コーリン・ロウは、この文章の最後でも、そのどちら(の透明性)がいいかを断言していません。質の違いについて記述している、と言っているのですが、読んでいる最中は、ガラスを通す透明性はリテラルに知的ではなく、コルビジェの”ガラスを使わずに透明性を標榜する”のが知的である、と書いている(ように読める)。
私はその呪縛から逃れることができなかったこともあり、ガラスを使うことに抵抗があります。ガラスメーカーさんのスタジオでこう言うのは気が引けるのですが、実際、そうなのです。
ですから、私のある時期の作品では「ガラスを使わずにガラスと似たような効果を得られないだろうか」ということが一つのテーマになっていました。

 

さて、この画像は2005年頃に手掛けたインスタレーションの例です。
黒縁のところに鏡が入っているように見えるかもしれませんが、現実には鏡は入っておりません。一対の家具をちょうどミラー反転させたような位置に配置し、角度も調整してあります。間違い探しをしてもらおうとの趣旨でした。
よく見ると、この椅子とこの椅子の手すりが違っているの、分かりますよね。モノをミラー反転した位置に置くことで、そこにはないはずのミラーがあたかもあるように見せる、というものです。見えないモノを見せることに興味がありました。
それから、これは建物のリノベーションです。ペンキメーカーの社屋でしたので壁面を白いペンキで塗っただけのものですが、白をより白く見せようと考えて、壁の面ごとに白の明度を変えてあります。
この南面の、一番光の当たる面をもっとも暗く塗っています。だから、この面はけっこうグレーな色のはずなのです。
一方、この陰になる、暗くなりがちな、向かって左側の面は白ペンキの明度を高くしてあります。結果的に各面の色と明度がほぼ同程度に見え、立体感が乏しく見える、というわけです。それにより周囲のビルに比べぼやっとした印象を受ける。
そうやってぼかすことで、ある種の透明性が得られるのではないか、と考えました。ガラスを使わずに透明感や透明性を表現しようとしています

 

次は横浜の黄金町でアートインスタレーションをした例です。
これは違法風俗店、いわゆる「ちょんの間」と呼ばれた建物のリノベーションです。予算が限られたのでペンキを塗っただけなのです。
手前に白い部屋をつくって、奥に緑を塗った部屋をつくりました。錯視の効果を利用しており、白い空間から緑の空間へ行き、しばらくそこにいて白い空間のほうを見ると、実際には存在しないはずの色が見えてきます。
「補色効果」と言いますが、人間の眼は非常に優れていて、強い緑色に対して赤色のフィルターを自動的にかけています。そのフィルター効果がほんの少しの間残存し、白の空間のはずなのに、大きなピンク色の空間が一瞬、出現します。
このスタジオに使われている壁面のガラス(ブルー&オレンジ)も補色ですよね。これと同じ補色効果や錯視ですが、黄金町のリノベーションではこのスタジオとは違って一瞬だけピンクの残像が見えます。このエリアは元々風俗街だったので、ピンクの残像を残そうと考えました。
横浜市は、そういった歴史自体を抹消しようとしているのですね。確かにイメージ的には負の財産と呼べるようなものかもしれませんが、そういった土地や場に根付いた記憶を消していいのでしょうか。街がすべてクリーンになってさえゆけばいいというものではないと思うので、残像としてピンクの記憶を残す、ピンクのネオンサインが一瞬だけフラッシュバックされる、というインスタレーションをしたのです。

 

そのような試みをやっているうちに、私にも実際にガラスを使うという機会が訪れました。ただし、使うにしても、できるだけガラスらしくない使い方をしようとしています。この画像は90年代に有名だった六本木のディスコ「ジュリアナ東京」です。それを改装した例です。
ジュリアナをオフィスに改装するという依頼を受けました。天井に梁のように走っているのは照明器具ですが、その下面はガラスです。2枚画像を並べているのは、違いを見ていただくためです。このオフィスでは照度や色温度を常時コンピュータ制御して、窓のない空間であるにもかかわらず、人工的に光の質を変化させています。つまり、窓がない空間に自然と同じような時間的な照度変化をつくり出そうというものです。
一般にオフィスでは均質光がいいとされますが、実際には外光が入ってきて照度は変化しています。それを再現してみました。
光源を2種類使いコントロールしています。照明の下はガラスですから、透過してくる光は少し緑がかっています。それをキャンセルする狙いで、反射板をピンク色にし、補色効果で透明な光にしました。物質としてのガラスの緑色を感じさせない試みです。

 

次は1週間単位で借りられる賃貸住宅の例です。
そのプロジェクトでは「泊まる」と「暮らす」の境目を探るという狙いがありました。役所に書類を提出して探ったところ、結論としてその境目が「1週間」ということになりました。
1週間毎に契約して人が住みます。何でそんなことをしたのかというと、大きな住宅をつくりたかったのです。近年のように核家族が定着すると、住宅がどんどん小さくなっていく。機能も最小限でいい、応接も、畳の間もなくていい、という家になっている。そのように細かく分かれた家族に、それぞれ小さな殻を付けていくと、住まいに余力がなくなる。
そして例えば震災のようなことが起こると、余力がないので、被災者を受け入れることなどできないし、そもそも小さな家は空き家になる確率が高くなる。だから、なるべく大きな住宅をつくったほうがいいと考えているのですが、いきなり大きな住宅に住むというのは、経済的にもその他の面でも難しいので、まずは時間でシェアするような仕組みを考えて、しかもなるべく東京に近い場所で、大きな住宅を建てよう、というモデル的なプロジェクトです。

 

その際、貸すのですから借りてもらえるだけの魅力が必要ですよね。この場合は、目の前に海があるということでした。
ただし、東京に近いので周りはマンションや住宅が建ち並んでおり、そこからの視線を遮らなければいけない。そういう外からの視線を制御する工夫をしました。
家の内側から見ると、この写真のように海だけが切り出されたように見えます。周囲の建物からの視線は来ません。そして、この海を眼前にする際のガラスは、なるべくその存在を感じさせないようにしたかった。
僕は写真を自分で撮るから分かるのですが、たいてい、映り込んでしまいますよね。でも、このガラスは少し角度を振ってあって、周囲からの視線だけでなく、自分もカットされています。要はガラスと正対しないことが重要で、そのためにも角度を振ってある。自分の姿を見ないで海を見られるガラスです。

 

もうひとつ、ガラスの存在感をあまり出さない例をご紹介します。
これは奈良の中川政七商店という江戸時代から続く老舗商店の新社屋です。全面にガラスを使っていますが、大きなガラスの存在感は高圧的と思うので、小さく分割して薄くする、という工夫をしています。
温室サッシを流用し、大きな面でありますが、小さな分節のガラスにしています。
また、この写真は、その後、旧社屋を改築した写真です。旧社屋の前に奥行き2m×幅20mというガラス張りの薄い建物を建てて、正面をカバーし、ここでもガラスを全面にフィーチャーしています。
グロピウスとコルビジェの対比で言うと、グロピウス的な建て方をしています。オモテ側の面はグロピウス的で、そのガラスの奥に古い建物が見えるというところはコルビジェ的とも言えます。僕も、そのどちらがいいかと議論するつもりはなく、つまりは僕も段々とガラスを普通に使うようになってきた、使うことに抵抗がなくなってきた、ということです(笑)。
この時のガラスも温室サッシです。1枚もののように見えるかもしれませんが、そうではなく、割り込んでつくっています。うっすらと線が見えますよね。

 

そしてこれが最近のプロジェクトです。もっともガラスの透過性をダイレクトに利用しようとした、葉山の海岸エリアにある別荘です。
海に面した幅8m、奥行き3mという敷地で、この海沿いの幹線道路よりも海側の土地です。この一帯では、この物件と隣家を除き、幹線道路よりも海側には建物はありません。つまり、道路を隔てた陸側にはすでに家が建っています。
その陸側の家にしてみると、従来、海と富士山が一望できる景観に恵まれていたのですが、ここに新たな建物が建つと、それが失われトラブル必至という事案です。僕もこの設計を受託するかどうか悩んだのですが、もし自分がやらなければより問題が大きくなる、と考え、引き受けることにしました。
どういう設計にしたかというと、ご覧の通り簡単で、この窓枠みたいな建物にしたわけです。
別荘ですからクライアントが常にここを利用しているわけではない。そこで、居ないときはカーテンを開けておいてください、というお願いをして、陸側の既存の家から見た際、2枚のガラス越しではあるけれど、海と富士山が透過して見える。
陸側の家からは、道路の向こう側に大きな窓枠と2重サッシがあるというようなもので、「窓の家」と呼んでいます。このように開口部だけでできている建築物であり、ガラスがそれを可能にしました
クライアントがここに居るときはカーテンを閉めればいい、という使い方になっています。

 

繰り返しますが、ガラスは使うのが非常に難しい素材だと思います。魔術的な危うさ感じていて、これまでは使うのがためらわれ、実際、あまり触れずに来たのですが、最近は歳とともに少しずつ使えるようになってきました。
今日は、その過程を紹介させていただいた、ということでご勘弁願います(笑)。

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