イベントレポート詳細Details of an event

第28回 AGC studioデザインフォーラム
U-30 Young Architect Japan. 開催記念対談イベント

2013年3月8日(金)
講演会/セミナー

第2部 ディスカッション

 



 

倉方 それではまず、私の感想を述べてからディスカッションに入ります。
私はコンペの審査に関わっていないので、みなさんの作品は今日、初めて見たのですが、まず3組とも三者三様で、いかにも彼ららしい個性が出ていたと思います。

 

具体的に言いますと、久保さんの作品は、光が分かれるという発見からつくっているので「適切な形をつくる」という以前から久保さんに見られる方向と一致していると感じます。そして、適切と言いながら、でき上がってみると、これまで見たことのない造形や空間になっていますね。

 

また増田さん、大坪さんのペアは反射ガラスに注目しながら、それをさらに形によって屈折させている。確かに、プレゼンで説明されたように自然がつくる外部は複雑で、一方、人間のつくる内部はどちらかというと単純なものですが、あの作品では外部よりも複雑な内部をつくり、内と外を逆転させようとしています。いかにも増田、大坪さん的な考え方でしょう。
周りの自然をフィルタリングして、あるいは変換するなど以前からおふたりにある方向性や思想がうまく出ているように感じます。人工と自然を変換する装置としてガラスを使っている。変換して建築に豊かさをつくる。
ガラスの複雑性を、その割り切れなさをプラスに転化する。「割り切れなさ」は普通、マイナス要素だと思って捨ててしまうことが多い。建築家は伝統的に割り切ろうとするのです。
しかし、その割り切れなさをおもしろいと捉えて建築する、という考えがあるのだと思いました。

 

さて、米澤さんの作品ですが、作風の多様さが米澤さんにはありますけれど、全体として感じるのは、米澤さんには、状況を受け入れながら、その解決は直球勝負、というようなところがある。清々しさがあります。どんなものでも直球勝負する、そういった方向性や持ち味があると感じています。
今回の作品も、最初の発想が、あるところから論理的に、直線的に至っている。そうして最終的には実現しているところがすごい、と思います。
いろいろと周りの人を巻き込んでやっているのですが、あのようなものは米澤さんがいないとできなかった、とも言えます。それは建築家の能力だと思います。
実際、建築家は自分独りだと何もできない。しかしその人がいなければ、そのことが成立しない、という人種でもあります
巨匠と呼ばれる建築家の方々も同じで、彼らの作品は自分で全て考えて出来上がったものではない。無茶なアイデアでも「できる!」と言っていると、周りのスタッフや構造家や施工者たちが実現させてくれる、そうやって創られた名作はたくさんあります。米澤さんはそういうところが建築家っぽい。

 

もう一つ感想を言いますと、今年のコンペでおもしろかったのは、ガラスの透明性だけではなく、反射や屈折などガラスが持っているストレートな性質ではなく、ガラスが持っている複雑性を、虚像と本質をわからなくさせる性質を、表現されている。なぜか3人ともそういう風に考えている。これは時代性か? とも思ってしまいます。
僕の専門である建築史に寄せて言うと、そういうことを感じます。

 

昨年、僕は『東京建築 みる・あるく・かたる』という本を出しました。文筆家の甲斐みのりさんと共著で出しています。
甲斐さんは、ロマンティックなものやカワイイものがお好きな書き手ですよね。建築の人ではありませんが、甲斐さんのセンスでセレクトした東京の建物を私のような建築史家と一緒に見て回る。宣伝みたいで恐縮ですが、この本は明治、大正、戦前、戦後から現代までカテゴリーや時代を分けずに見て回っています。
そして、ガラスの使われ方という観点から見ると、現代の建物は比較的、透過や反射という一側面を強く意識して使われている。でも本来ガラスはもっと複雑さを持っているのです。

 

例えば、東京会館という”ないまぜ空間”があります。甲斐さんはあの色付きのガラス空間をカワイイと言っていた。ああいう高度成長期以降に洗い流されてしまったものをもう一度見たい。
一口ではとらえられない、割り切れない魅力。もう一度、何が虚で、何が現実か解らないものが魅力に感じられるのだろう、と三つの作品を見て思いました。

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