イベントレポート詳細Details of an event

第15回 AGC studioデザインフォーラム
U-30 Young Architect Japan. 開催記念対談イベント

2012年3月30日(金)
講演会/セミナー

増田 昔は、新しい建物ができると、みんな集まってきてお祭りみたいにして祝っていましたよね。でも、僕らの世代には建物をつくること自体が罪になるような意識があります。少なくとも僕と大坪はそうです。
そういう否定的な感覚や意識をもう一度考え直さないと、建築も社会もよくなっていかない。
法律もそうで、建物が建てば北側に陰ができるので「北側斜線」という制限ができる。セットバックしなければいけなくなる。設計者としては「建物が建つと人に迷惑をかける」ではなく「シェアできて、みんなにとってよくなる」というようにしたいのです。
人に気を遣う時、自分も気持ちよくなるから他人に気を遣ったりするじゃないですか、建築にもそういうあり方を取り戻したいと思っています。そうなると、さっきの案のように場所の価値観も変化させていく必要があります。

 

倉方 なるほどね。確かに3組とも建てることの「原罪」や、それに対する提案という点で共通しているかもしれませんね。それをないことにしたい。
でもガラスが透明だからといって罪がなくなるとは思っていない。海法さんがエンジニアリングで拡張するのは「建てることでハッピーになれる」可能性ですね。加藤・ヴィクトリアさんもそうだと思います。
まぁ、確かに現代社会では、隣に何か建つというだけで、いきなりファイティングポーズをとりますよね。自分たち自身がそうなっている。共同住宅でも戸建てでも「自分の権利と領分は絶対に侵させない」「建てられるのは迷惑」とお互いに思っているところがある。
建てている途中も振動、埃、光、といったクレームになり、自分が建てるときも文句を言われ、建つことがハッピーとは思えない時代になっていますね。

 

海法 隣に建つことを警戒するという感じは非常に現代的な病ですよね。昔はどうだったのですか?

 

倉方 昔は少なくとも、多少の迷惑はあってもみんなで発展していくという希望があったので悪いとは思わなかったのです。
でも今は、これ以上良くならない、むしろ悪くなると感じているから、少しでもいまある状態を守ろう、という方向へ行く。

 

海法 高度成長時代はみんなとある目標を共有できたし、そのために我慢もできた、と。その発展しきった末ですよね。
でも僕は現代の満員電車に乗るのが耐えられない。誰しもつらいですよね。この状態を目指して発展してきたのかと疑問に思う場面は多々あります。僕らの世代はバブル崩壊以降の、発展の希望がない辛さだけをいびつに体験してきた世代で、それが建築観にも出ているのかもしれません。
きっと前の世代はまだ発展するという思いで我慢できた。一方、僕たちの「未来に夢を持っていない感覚」を建築にどう表現していくか、というテーマもあると思います。

 

倉方 そうですね。満員電車で「混んでいるから、これ以上混んで欲しくない」とファイティングポーズをとるくらいの状態でしょう。けれど、ちょっと手を上げると多少は楽になるかもしれない。
そういう仕組みを考えるのが建築の役割と思うのではなく、「通勤について根本から考えよう」「通勤なんかしなくてもいいようにするには~」というのが本来の建築家です。

 

大坪 僕は増田よりも人間嫌いで(笑)、海法さんの気持ちもよく分かります。
またつくることの原罪もよく分かる。そういいながら、実は海法さんも結構つくっているだろう、と思っちゃうのです。あの水族館はでかいじゃないですか。あれつくるの、相当頑張らないといけない。かなり苦労している。
見た目はスッとしているのだけれど、あれをつくった時の影響を、どう考えるのか? 例えば、海の下にいる生き物への影響は確実にあるはずで、環境に対してかなり踏み込んだことをしている。それに対してどう考えますか?

 

海法 例えば海にメガフロートを浮かべるとなると、その底にどういうタイプの生物が付着するかといったことを調べますよね。必ずアセスメントへいく。
確かに、今回の提案を本当に実現しようとなると、考えなくてはならない問題が数多くあるのはわかります。もし、海の生物に説得するとすれば「ガラスのある部分だけ、ちょっとは明るくなるよ」ということですかね(笑)。
ただ、環境に対する影響というものはある程度の予測はつくけれど、現段階では何が正解かは言えないと思うのです。例えばエアコンというすばらしい発明があったけれど、何百万台という室外機が環境へ与える影響など、誰も分からなかったでしょう。
今なんとなく正しいと思う感覚だけでものをつくっていった時、30年後の建築や社会はどうなっているのだろう? と思うのです。社会って結構そういう「今の感覚」の集積でできています。それだけを信じることはしないようにして、建築を考えようと思います。今回の水族館もそのくらいのタイムスパンで考えているつもりです。

 

倉方 最後に加藤・ヴィクトリアさんに聞きたいのですが、建築の世界ではどんなに優れたアイデアでも実施の段階で裏切られてしまうことが多々ありますね。今回のコンペの提案時と展示するまでのギャップについて話を聞かせていただきたい。

 

加藤 先ほどもいいましたが、最初は自然の森の中にガラスをはめ込むという発想で、つまり確固たる自然が存在していて、その中で踊る、という考え方だったわけです。
しかし実際にはAGCスタジオギャラリーという場で、自然ではない、架空のミニチュアの森を設計し、そこにガラスをはめるということになりました。キャンバスの中にキャンバスを描くようなイメージですよね。
当初考えたように木と木の間には空間はあるが、形はないのです。そしてガラスも形はない。
それで、実際は、どういうふうにすればいいのか、実施の段階でものすごく困ったのです。
テクニカルな面で言うと、木をイメージしながらガラスをはわせるという、木とガラスの両面から思考して行きつ戻りつしました。
アイデアの発端になった「森」から「庭」へ転換したときに大きなジャンプがあったと思います。

 

倉方 コンペの審査段階では木とガラスが一体化していましたけれど、実際は違ってくる、アイデアや提案を考え、現実に建てるとなると、必ずストラッグルがある。それこそが建築家の価値だと思います。新しい発見をしながら、大きく全体を見通していく力が必要です。
いちばん最初の話に戻ると、鉄やコンクリートに比べて、ガラスは観念で操作できそうな感じがします。というのもコンクリートはかなりの存在感があるし、鉄も確固たるモノとして存在するからです。
ガラスというのは建築家の観念にある代表、という一例ではないかと思います。だから「ガラスって何?」から出発せざるを得ないところがある。とはいってもガラスを観念では扱いきれないのが事実で、加藤さん、ヴィクトリアさんも、そこでさまざまな発見があったでしょう。

 

今回のイベントは単なるアイデアコンペではなく「実施までやる」というのが良かった。
実施はとても重要で、海法さんや増田・大坪さんの提案も、もし実施するとなれば、たぶん変化せざるを得なかった。それもガラスの面白いところでしょう。
やはり、こういう機会はとてもいいと思います。展示まで実施してくださったAGCさんにお礼を申し上げます。今後とも若手建築家と一緒に取り組む企画を考えていただけると幸いです。

皆さん、今日はありがとうございました。

 

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