イベントレポート詳細Details of an event

第15回 AGC studioデザインフォーラム
U-30 Young Architect Japan. 開催記念対談イベント

2012年3月30日(金)
講演会/セミナー

倉方 いずれの提案もタイプが違い、どれも独創的ですよね。
スケール的には、加藤・ヴィクトリアさんが小さく、増田・大坪さんが住宅の大きさ、海法さんが巨大ということですね。
まず私の個人的な印象を述べますと、みなさんともそれぞれ非常に個性があると思います。
加藤・ヴィクトリアさんは、「自然と人工の垣根を揺るがせ、新しい心地よさを探る」という、お二人のもともとの方向性と一緒で、その一貫性がよく出ていると感じました。
海法さんの提案はエンジニアリングを使いながら環境を拡張し、その結果、建築も拡張するという面白さがあります。

 

また、増田・大坪さんは具体的なかたちによって価値を転換しようとするアイデアだったと思います。それぞれの価値観が出ていました。
その上で共通していると思ったのが、みなさんはガラスに対する疑いのようなものを持っている。「ガラスとは何か?」という根本問題を出発点にしておられた。
まぁ、ガラスは確かに難しい素材ですよね。建築の歴史からいうと、ガラスは新しくない素材です。古くはないが、決して新しくはない。
使い方の観点からは、ガラスは20世紀的な素材として見られています。「鉄、ガラス、コンクリート」が20世紀と言われますが、このうちいまだによく使われるのがガラスなのです。
ガラスは旧勢力でありながら今も大きな力を持っている。それはなぜかといえば、やはり、ガラスは都合よく見えるわけです。視覚的に連続させられるので、自然と人工が何となく一貫してある、一体化させられる、自然と人工を寄り添わせる、ように見えてしまうのです。
しかし実際には、そうではなく区切ってしまう。内外を明確に分けてしまうのもガラスなのです。

 

加藤さんの提案にもそういう要素が含まれていましたね。空調などが代表的で、ガラスがあるからこそ、空調しなければいけなくなることもあるわけです。
ガラスは視覚的には透明で、存在しなさそうでいて、実は、ガラスは融通むげで、柔らかそうで硬い。自然と人工をつなげそうで、実は分ける。
この「~でありそうで、実はそうではない」という謎の建材、惑わす建材なのです。だから、20世紀的材料であっても、その魔法が解けず、みんな魅惑されてしまう。

 

加藤・ヴィクトリアさんは、自然と人工を分けてしまうことに対して「分けないこと」をしようという視点から可能性を探っていました。
また増田・大坪さんは光を出し入れすることにより外部も一緒に設計しなければならず、設計上で内部と外部を融合させるという考え方に向かっていました。
海法さんの場合は、ガラスを薄くしていった時に出てくる可変性に新しい可能性を見いだしていました。

 

一方、従来だと「困ったらガラス」という使い方がされてきて、ある種、建築家を思考停止させてしまう素材でした。建築家の頭がガラスに追いついて行けないのが実際で、それを考え直すと21世紀の建築が見えてくるのかもしれません。

 

では、お互いにどのような印象を持ったか、あるいは質問などでもいいですので、自由に話してもらえますでしょうか。

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