イベントレポート詳細Details of an event

第14回 AGC studioデザインフォーラム
「陸前高田の今と未来/世界に誇れるまちを目指して」
~今 必要な智恵・これから必要な技術~

2012年2月17日(金) 開催
講演会/セミナー

東日本大震災でほぼ全ての市街地が壊滅的な被害を受けた陸前高田市では、市民による主体的な復興への取り組みが始まっている。それは、単なるモノづくりや建築・土木、インフラだけの再整備ではなく、地域の生業や暮らし、アイデンティティ、伝統文化などを再構築し、新たな将来を生み出すための作業でもある。全国に知られる高田松原の「一本松プロジェクト」に関心が集まる中、真の復興は、人々の暮らしと未来を想う心にある。
その取り組みを引っ張る市民の思いと気持ちを直接聞き、建築やまちづくりだけではなくさまざまな分野の視点から、どのような支援が求められているのか、何をできるのか、を考え、陸前高田市がその先に目指す「世界に誇れるまち」に求められる要素とは何か、その実現にどのように関われるかを、神谷秀美氏を進行役に話し合った。

 

第一部 現況報告

 

神谷 もうすぐあの大震災の日から1年が経ちますけれど、被災地ではもちろん復興活動が行われています。東北地方は、食料の供給地やものづくりの重要拠点でもあり、私たちが暮らす首都圏と非常に深い関係があると考えてきましたし、さまざまな立場から多くの支援も入っています。そんな中、今現在も刻々と被災地の状況が変わり、支援のニーズも変化してきています。
私たちはいまこのタイミングで何ができるのか、どう支援できるのか、この先は何が必要か、といったことについて、陸前高田市から3名の方にお越しいただいて、現在の状況、悩みなどをまずはお話しいただきます。
その後、縁あって現地と関わらせていただいた私から、いま感じていることを問題提起させていただき、後半ではみなさんと一緒に意見交換を行いたいと思います。それではまず、菅野さんからお願いします。

 


菅野 みなさん、おばんでございます。私は震災以降「自分たちで何ができるか?」と考え、5月にNPO法人「陸前高田創生ふるさと会議」を設立しました。これまで国内のみなさまや世界中の方々から物心両面でのさまざまなご支援をいただきありがとうございます。この場を借りてまずは御礼申し上げます。

 

さて現況を申しますと、現在はちょっとずつ復興しつつあって、それを続けている状況です。
私は震災当日、午前中は市議会があり市役所の4階におりましたが午後からは別の場所へ行っており、直接的な被害を免れました。また自宅はこの地図の上のほう、山間部にあったため家も家族も田んぼも無事でした。

 

幸運にも生かされた者、被害の少なかった者としての使命は元気でなければならないと思い、NPOを設立したのも事実です。私は消防団員でもありましたので、被災当時から行方不明者やご遺体の捜索なども行いました。

 

陸前高田の歴史をちょっとご紹介しますと、昔(奈良時代~)は平泉の黄金文化を支えた玉山金山がありまして、江戸の頃は伊達藩の領地でした。

 

戦後になり高度成長期の昭和40年代に「広田湾埋め立て計画」という問題が勃発しましたが、海とともに暮らす人々のことを考え反対運動が起こり、埋め立てを阻んだという歴史もございます。そのように陸前高田は工業化を選ばず、自然とともに生き続けるという選択をしてきたわけです。
当然、3.11の前は一次産業、農林漁業を中心としたまちで、主たる産業は守った海から得られるカキ、ホタテ、ウニ、ワカメ等の養殖漁業とその加工業であり、あとは公共土木事業ということになります。高齢化率は県内トップクラスの約36%で、日本の将来を先取りした姿ではないかと感じております。

 

また県内ワーストといえるほど所得は低レベルです。市民1人あたりの年間所得は170万円程度ですから、東京都民の年間約480万円は言うに及ばず、沖縄県や高知県の同約200万円よりも少ないのです。
そういう年間170万円という少ない所得ですが、市内11地区、旧村町単位で昔からのコミュニティーが生き続けており「それでも豊かな暮らし」が営まれてきたと自負しています。よく言う「お金で計れない価値」があります。

 

私たちのように陸前高田にどっぷり浸かっていますと気づきませんが、外の方々から見ると「すばらしい自然に恵まれている」ということになります。
また、用事などで漁師さんのお宅にお邪魔すると「何にもないけど……」と言いながらウニやアワビの刺身が当たり前のように出てくる。これをもし、金銭に換算するなら、たいへんな額になると思います。そういった、貨幣では計れない価値のある、豊かな良いまちと考えています。

 

さて、市全体の被災状況を簡単に示しますと住宅の全壊が3159戸あり、半壊や一部損壊まで含めると3368戸が大きな住宅被害を受けています。世帯数が8172ですから、約半数近くの住宅が津波にさらわれたり、被害を被ったことになります。総人口2万4246人に対し、死亡者数が1900人弱、安否確認要請のあった行方不明者数が72人なので、約1割の人々が一瞬にして亡くなったわけです。

 

また、市役所や学校、公民館等の公共施設の大半もほとんどやられていて、いわゆる集会所や避難所になるような場所・建物がほんのわずかしか残りませんでした。だから行政機能もかなりの遅れが生じています。
それでも私たちは「震災復興計画」を昨年12月21日に議決いたしました。そこで目指すまちの姿として「海と緑と太陽との共生、海浜新都市の創造」をキャッチフレーズにしています。

 

また3つの基本理念を打ち出しました。「世界に誇れる美しいまちの創造」「人を育て、命と絆を守るまち」「活力と活気にあふれるまち」です。人口規模は震災前と同じ程度の2万5000人を目標にしています。で、今後「世界に誇れるまち」をどうつくるか、世界に何を誇るのか? という問題があります。それって、どんなまちなのだろう? と。これを議論する必要があります。
この震災で太平洋沿岸500キロにおよぶ海岸線の地域が被災していて、それぞれが地域の生き残りをかけて知恵比べになります。
そんな状況で、「陸前高田では何を?」をよく考えますと、このまちは海、平野、河や川、里山、山村が小ぢんまりとして相互に関連し合い、豊かな生活の舞台であり、日本の原風景的な場所ではないか、と個人的に感じるのです。
そこで、「大いなる田舎構想」というものを考えています。今後、一次産業以外の部分で、観光という面では「田舎」を目指すのがいいのではないかと真剣に考えました。
その一環として、詳しくは後半の第二部で申し上げますが、陸前高田の塩構想、というものを、小さくて古い産業を再興させたいと希望しています。
塩というのはいろんな意味で食とつながっています。私はコメを作っている人間ですが、陸前高田らしい、海と平野と山が結びついて、みんなが関われる象徴的な産業として塩を作っていきたいと、みんなに笑われるかもしれませんが、本当にそういう夢と希望を抱いております。

 

神谷 菅野さんありがとうございました。「高田の塩」構想という新しい産業の話が出ましたが、塩作りはもともとこの土地に存在した産業らしいですね。詳しくは後ほど聞くことにして、次は水産業や海の暮らしの現況を村上さんに報告していただきます。

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