イベントレポート詳細Details of an event

第13回 AGC studioデザインフォーラム
「世界の商空間デザインーその新潮流」
~グリーンとの同化、フルイド、デジタル制作~

2012年1月26日(木) 開催
講演会/セミナー

店舗に代表される商業空間デザインの分野で長くエディターを続けてきた松本軍四郎氏は、「日本の店舗設計・デザインは世界から見ても特異な発展を遂げた」と指摘する。明治維新と戦後という2度の開国を経て、和洋折衷の生活様式を続ける中で、商業デザインだけが引き受けてきた文化があるというのだ。その松本氏は現在グローバルを対象とした商空間デザイン誌『SPA-DE』の編集発行人でもある。同氏の目には、世界と日本の商空間フィールドがどう映っているのだろうか?

 

商空間デザインとは何か?

 

私はかつて『商店建築』という雑誌の編集を35年間続けてきました。その後、2003年に『SPA-DE』という雑誌を立ち上げました。商空間というものも世界と同じ土俵でグローバルに論じたり評価したりするものだという考えから、世界を対象とした専門誌を発行するに至ったのです。現在、年2回、通算15号まで発行しています。
この間、ずっと建築関係の雑誌をつくり続けてきて不思議に思ったことがあります。というのも、日本での建築の専門誌にはまず、建築全般を扱うものがあり、また住宅だけを扱うものがある。そして「商店建築」がある。しかし、これは世界的に見て珍しいことで、店舗に特化した出版が成立しているのはこの国だけでしょう。
つまり、ジャンルとして商店建築があるという日本は特異な国と言えます。他の国では存在しません。どうしてそうなったのでしょうか?

 

背景や理由はいろいろあると思いますが、一番の要因は明治維新と第二次大戦後の2度の開国です。日本は2度の大きな変化を受け入れて西洋化を推進してきましたが、住宅とか住まい方だけは保守的だった。
明治維新のときも戦後も、畳の文化生活を捨てずに和洋折衷する暮らしを続けてきました。そういう中で西洋化の大部分を商業建築に引き受けてもらった側面が強いと思います。
とはいえ、そういう特異なジャンルですから、改めて「店舗設計」「商空間デザイン」というものを定義してみました。レジュメにありますように、次のようになるかと思います。

 

「営利を目的とした不特定の人が訪れる空間装置のデザイン」

 

「営利を目的とした~」ということに関して、通常の経済活動であればクライアントは誰? という問題があります。
例えば住宅には住まい手がいて、その好みに合わせて設計をする。また公共建築のクライアントは、いわゆる「税金」になってきます。”公共”はほとんど文句をいいませんので、建築家はかなり自由にデザインをでき、確かにすばらしいものがつくられてきました。

 

一方、店舗のクライアントを考えると、やはり「~不特定(多数)の~」お客様のためにデザインをする、ということになります。そこが住宅や公共建築、オフィスなどと違うところですね。
デザイナーはそういう客と時代に向き合ってデザインをしており、資金を出すオーナーもそれを望んでいるわけです。だから、時代を見る感性が優れていないといけません。
一方、「~空間的装置~」としたのは、一般の建築のように、床、壁、開口などがあるだけではすまないわけです。
例えば外に看板をつけたり、中に客席やショーケース、厨房などがあって、それらがすべて連動しないと商空間は機能しません。だから装置に近い。またさまざまな専門家の知恵を必要とします。
店舗デザイナーには、それら専門家をキャスティングする能力が求められる。さらに「空間的~」というのは、外装よりも中の、中空を扱うという意味です。
そして例えばキッチンからのサービスの動線と客の動線がぶつかるということも起こりますし、あえてそれをクロスさせてみる、という動線上のさまざまな試行も許される。そういう、空間的装置である。

 

戦後デザインのエポック

 

ここで戦後の商空間デザインの流れを早足で振り返ってみます。
まず1950年代ですけれど、戦前のバウハウス世代がモダンデザインの基礎を作りました。当時はまだ建築家が良質なインテリアの仕事をした、建築と室内が未分化の時代、だったといえます。
で、バウハウスと日本の民芸が出会い、スカンジナビアのデザインの影響を受けてジャパニーズモダンの源流ができます。近代的デザインの黎明期でした。当時としては先鋭的な喫茶店空間もこの頃、登場しています。

 

60年代に入りますと、車社会が台頭し、ドライブイン建築などが出てきます。
ちなみに、いまお話ししている流れは、体系的な歴史というわけではなく、あくまでも雑誌を編集していた時の実感として「こういうエポックがあった」ということを中心にお話しています。で、モータリゼーションと同時に、夜の社交場としてクラブやキャバレーのデザインが全盛を迎えます。
アメリカの現代アートが入ってきて、イタリアデザインの影響も受け、さらにベトナム戦争と反戦ヒッピー文化が流行りました。高度成長期らしい地下街や郊外型ショッピングセンターが各地で続々とつくられた時代です。
69年にはコムデギャルソンが登場し、日本インテリアデザイナー協会が発足したのもこの年です。

 

大阪万博の70年前後は非常にエポックが多いですね。すかいらーくの1号店が70年、マクドナルドの銀座店が71年、ワイズも71年でした。渋谷パルコは73年オープンですし、セブンイレブンの1号店は74年です。
このように70年代前半は、いろんなものが凝縮して誕生した時代です。直後にオイルショックがありますけれど高度成長の華が咲きました。それから『サタデーナイトフィーバー』の影響でディスコブームが到来し、それを受けるように美容室やカットサロンもデザイナーの活躍の場になり始めます。
また、70年代後半はファッションブランドの創設期ですよね。ブランドというものがビジネスに有効であることが示されました。石津謙介さんがVANジャケットを創設した影響が非常に大きかったと思います。

 

で、80年代に入るとポストモダンの動きがあって、いわゆるDCブランドショップの全盛期になります。インテリアデザインが非常に盛り上がった時代で、作家型のデザイナーも出てきます。カフェバーが流行し、バブル絶頂の後半になると海外デザイナーのブームも起こり、リゾートホテルの建造ラッシュが起こりました。

90年代は一転してバブルが崩壊し、内向き指向に変わります。食べ物と飲み物を一緒に出して客単価を上げようと、ダイニングバーや居酒屋がウケ始めた。お客さんも1カ所で済むことに満足する。
同時に「隠れ家」的な個室主体の店も登場し、ある意味、後ろ向きなイメージが出てきます。
また女性中心のマーケティングによる商業施設が増え、一方でインターネットが普及し始め、デパートが斜陽になってきました。

 

そして2000年代に入り、環境指向が出てくるわけですけれど、私はこの頃で取材現場をいったん離れたため、フォーローしきれていません。印象としては、商空間デザインとしていい作品は出ていると思いますが、数自体はかなり減ったと思います。要因ははっきりしていて、外食産業が伸びたというか、外食が産業化されたところにあります。それまでだと個人オーナーが自由に多様な展開をできました。

 

一方、ビジネス化が進んだ外食企業では「店舗デザイン部」や「店舗開発部・設計部」などが生まれて主流になり、店舗デザイナーが個性的な仕事をしづらくなったと思います。

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